さぎの湯温泉の歴史


鷺の湯写真

その興りが、どれくらい前なのか?正確な資料は残されていません。 ただ、尼子時代の地図や文献には「湯町」とあり、尼子の御殿湯として 賑わったと伝えられています。その時代には、湯場は、現在の位置とは違い 尼子の城下町で、現在の太平寺の地内にありました。

そのように歴史もあり、かつては、この中国地方を支配した、尼子の御殿湯 とまでされていたこのさぎの湯温泉が、なぜ現在まで大きな発展を遂げなかった のか??その理由は、昭和の初期まで、この地に続いた「洪水」にあります。

記録にある最初の洪水は、寛文六年(1666年)の大洪水でした。このために 旧城下町は一掃され、富田川の流れを東に移動させてしまったほどでした。 この結果、温泉も流失し廃墟となり、泉源も失ってしまったのです。

その後、元文四年(1739年)三月、広瀬藩の藩医であった岡田元杏が、古老 の話しを聞き、私財を投じて温泉の発掘をためしみたのでした。その結果、見事 に泉源を発見し湯壺を露天にすえつけて入浴していましたが、再び度重なる洪水 のために埋没してしまいました。 そして、明治43年3月 田辺六左衛門が自分のたんぼで、排水工事をしている と、湯が湧き出てきたので、温度を計ってみると40度を越すほどの温泉が湧き 出て、現在のさぎの湯温泉ができたのです。

その後もたびたび洪水があり、また砂地でもあることから、泉源が埋まったり しましたが、現在では、洪水の原因となった川の上流にはダムがふたつもでき、 河川工事もすすみ、そのような事はなくなりました。
とは言うものの、比較的浅い深度で、温泉の出るこの地は、10年に一度は、 ボーリングを繰り返さないと、砂地のため泉源が埋まってしまいました。 このため、今までの100メートル程度の深度を1キロも深く掘りさげて「永久 泉源」を作ることになりました。

平成7年4月。その願いは見事に実現し、毎分600リットル。温度も52度という 高温の温泉が湧出したのです。同年10月にこれを運用開始し、現在では24時間 つきることのない温泉が惜し気もなく流れております。

                参考文献:飯梨郷土史より