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 温泉のご案内

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☎ 0854‐28‐6262

メール jeeptaiha.enjou@gmail.com

 さぎの湯温泉は、国民保養温泉地の 指定を受けています。

国民保養温泉地って何??・・って言う温泉好きな方には、温泉地を選ぶ重要なポイントのひとつですので、ぜひ!知っておいていただきたい情報の一つです。ご存知ない方は、下のタブに簡単な説明を入れておきましたので、クリックして読んでいただければ幸いです。

●環境

温泉の名前が「鷺の湯温泉」と言う だけあって、白鷺の舞う自然豊かなところです。
その昔、毛利氏と中国地方の覇権を争っ た尼子氏の居城、富田城も近くで、かつては尼子の御殿湯とも言われた温泉地でもあります。
旅館は3軒、公共宿泊施設が1軒と宿泊 施設は少ないものの、近年では足立美術館や安来節演芸館など安来の主要な観光地のある温泉場として益々その価値が高まり、注目を集める観光地でもありま す。

●特色

毎分、600リットルという、宿泊施設に比較 しても膨大な量の泉源を持っています。どの旅館に泊まっても、24 時間流れ続ける温泉をたっぷりと楽しめ、冬には水路を流れる温泉が湯煙をたて、近くにある「さぎの湯公園」には余った温泉が、 惜し気もなく流れています。 効能は高く、傷や神経痛によく効きます。

当館での温度調整は、温泉バルブを直接開閉し て湯量のみで行っておりますので加熱・加水などは一切ありません。文字どおりの「天然かけ流し」の温泉でございます。

その日の気温や風の方向や強さ、数時間ごとに 変化する気候にあわせて・・

    出来る限りの「気 ん持ちい〜ぃ♪」

・・を体感できるように、数時間ごとに調節し ております。

●さぎの湯温泉をもっと 詳しく知りたい方は、それぞれのタブをクリックしてご覧ください。

その興りが、どれくらい前なのか?正確な資料は残されていません。 ただ、尼子時代の地図や文献には「湯町」とあり、尼子の御殿湯として 賑わったと伝えられています。その時代には、湯場は、現在の位置とは違い 尼子の城下町で、現在の太平寺の地内にありました。

そのように歴史もあり、かつては、この中国地方を支配した、尼子の御殿湯 とまでされていたこのさぎの湯温泉が、なぜ現在まで大きな発展を遂げなかった のか??その理由は、昭和の初期まで、この地に続いた「洪水」にあります。

記録にある最初の洪水は、寛文六年(1666年)の大洪水でした。このために 旧城下町は一掃され、富田川の流れを東に移動させてしまったほどでした。 この結果、温泉も流失し廃墟となり、泉源も失ってしまったのです。

その後、元文四年(1739年)三月、広瀬藩の藩医であった岡田元杏が、古老 の話しを聞き、私財を投じて温泉の発掘をためしみたのでした。その結果、見事 に泉源を発見し湯壺を露天にすえつけて入浴していましたが、再び度重なる洪水 のために埋没してしまいました。 そして、明治43年3月 田辺六左衛門が自分のたんぼで、排水工事をしている と、湯が湧き出てきたので、温度を計ってみると40度を越すほどの温泉が湧き 出て、現在のさぎの湯温泉ができたのです。

その後もたびたび洪水があり、また砂地でもあることから、泉源が埋まったり しましたが、現在では、洪水の原因となった川の上流にはダムがふたつもでき、 河川工事もすすみ、そのような事はなくなりました。
とは言うものの、比較的浅い深度で、温泉の出るこの地は、10年に一度は、 ボーリングを繰り返さないと、砂地のため泉源が埋まってしまいました。 このため、今までの100メートル程度の深度を1キロも深く掘りさげて「永久 泉源」を作ることになりました。

平成7年4月。その願いは見事に実現し、毎分600リットル。温度も52度という 高温の温泉が湧出したのです。同年10月にこれを運用開始し、現在では24時間 つきることのない温泉が惜し気もなく流れております。

                参考文献:飯梨郷土史より